ショルダーバッグが少し揺れてベルトが肩から外れそうになった。反射的に左手が動き、歩きながらベルトを肩にかけ直す。街を歩いていると、夜風で頬が冷える季節になってしまったことに気づかされる——。
バッグの新調を検討しながら山手通りを歩く
東中野での用事を終え、山手通りを歩いていた。夜の8時半を過ぎている。この後特に用事はなく、家に帰るだけだ。
都心とはいえ広い道路だけに車が主役といえそうなエリアだが、早稲田通りとの交差点に近づいてくると意外にも飲食店が増えてくる。この辺で何か食べて帰ってみるのもよかった。
今日着ているジャケットとの相性が悪いのか、またショルダーバッグのベルトが肩からずり落ちそうになる。少し煩わしさを感じたので左手に提げることにした。
そういえばこのキャンバス地のバッグも使いはじめて優に10年は経っている。使っていてなんの問題もないのだが、だいぶくたびれてきたのは確かだ。摩擦でポケットの角に小さい穴が開いているのも気にならないわけではない。こうしたことに考えが及ぶというのは、新調するタイミングがやってきたということかもしれない。
見た目的には今のこのバッグのような厚手のキャンバス地のものが好きなのだが、あまり固執しても仕方がないようにも思える。おおむね満足しているバッグだが、唯一のわずかな懸念は防水性であるかもしれない。雨天時、バッグに直接雨が当たらないようにはしているが、そうした気遣いから解放されればそのぶんストレスも減るのだろう。
だとすれば、新調するバッグは防水性を重視する選択もあり得る。しかし防水性を優先すれば素材は化学繊維ということになるだろう。日常で使うバッグが化学繊維素材というのは、個人的にはあまり気乗りしないかもしれない。デザイン優先か、それとも機能性重視かという話になりそうではあるが……。
交差点にやってきた。一角にはピザの食べ放題を売りにしたイタリアンレストランがある。店頭には美味しそうなピザを写した大型のポスターが貼られていて、そのビジュアルには思わず食指が動かされるというものだ。
※画像はイメージです（筆者撮影）
飲食店で提供されるメニューの写真はなるべく美味しそうに見えるように撮影され、場合によってはその後に画像加工を施されて見る者の目を惹きつける力を持っている。そして実際、メニューのビジュアルが決め手となって選ぶケースも少なくないのだろう。
もちろん久しぶりにピザを食べるという案もよかったのだが、今の胃袋の状態ではどう考えてもそれほどの量は食べられそうもない。もちろん無理に食べ放題を注文しなくてもよいのだが……。
ひとまず早稲田通りを左へ折れることにした。この界隈も飲食店がけっこう多い。からあげのテイクアウト店や、通りの反対側には居酒屋チェーン店や牛丼チェーン店もある。
こうした店をやり過ごして少し歩くと寿司屋が見えてきた。店頭のショーケースに展示されている鮮やかな蝋細工の寿司のビジュアルもいい感じだ。入ってみてもよいのだろう。
美しいビジュアルの料理は健康的なのか？
引き戸を開けて店に入るとカウンターに案内される。夕食時なのでけっこうな数の客の入りだ。4つあるテーブル席は埋まっていて、この地域の人気店であることがすぐにわかる。もちろんテイクアウトもやっている。
それほどお腹は減ってないので、お酒と寿司、肴がいくつかついているという「晩酌セット」を注文した。お酒は生ビールを指定し、寿司のほうはおまかせになる。
さっそく注文した品が届いた。マグロの中落ちの小鉢はけっこうな量があってお得だ。寿司屋で“ちょっと一杯”にはぴったりの布陣だ。そしてもちろん、舌だけではなく目でも楽しめるビジュアルである。
※画像はイメージです（筆者撮影）
さっきのピザもそうだが、寿司もビジュアルの訴求力が強いフードメニューだろう。寿司はもちろんのこと和食は概して盛り付けにも配慮されているといえる。ビールを飲み干してしまったのでお代わりをお願いし、追加で軍艦巻きを注文する。
美しい見た目の料理に食欲を刺激されるのは人情としてある意味で当然ともいえるが、ビジュアルに優れたメニューは健康的にも感じられていることが最近の研究で報告されていて興味深い。そして食欲をそそられ、食べて健康的になれるとすればそれらの美しいメニューにある程度の対価を支払うことも厭わないというのである。
マーケッターは頻繁に食べ物をきれいに見えるようにスタイリングします（広告など）。今回の研究では、美しさ（順序、対称性、バランスなどの古典的な美学の原則によって定義される）が健康状態の判断にどのように影響するかを調査します。
研究者は特に古典的な美的特徴がそれをよりナチュラルに見せるという理由で、よりきれいな食品がより健康的であると認識されることを示唆しています。
※「SAGE Journals」より引用
米・南カリフォルニア大学のリンダ・ハーゲン助教授が2020年9月に「Journal of Marketing」で発表した研究では、魅力的なビジュアルのメニューが消費者にとってより健康に見えるかどうかを調査分析している。
美しいものを観賞することは、脳の報酬系に作用して気分を満たし喜ばしい体験となるのだが、その一方で美しく喜ばしい物事は、有用性や実用性とは相容れないものであると考える傾向もあるという。
であるとすれば、美しく喜ばしい見た目の料理は身体に良いものではないと感じられているのだろうか。
実験の1つでは、参加者はアボカドトーストのビジュアルを見せられて各評価を行ったのだが、画像にはきれいに盛り付けられたものと、無造作に盛り付けられたパターンがあった。説明文にはどちらもまったく同じ材料を用いており価格も同じであることが記されていた。
回答を分析してみると、きれいに盛り付けられたアボカドトーストのほうが健康的で、栄養価が高く、カロリーが低くて“自然美”が高いと評価される有意な傾向が確かめられたのだ。そしてそれ故に高価であっても厭わないという。
この中で鍵となるのは“自然美”で、自然の美しさが持つ特徴（対称性、規則正しさ、パターンの踏襲）をより顕著に持っている食品は健康的であると受け止められているという。例えばピザであれば具の配置はなるべく規則正しく上下左右対称のものが好まれ、寿司であればサイズが均一で並べ方にパターンがあるほうが好ましく感じられ、なおかつ健康的であると受け止められるのだ。
軍艦巻きがやって来た。左から穴子、サーモン、エンガワである。エンガワの軍艦巻きをひと口で頬張ってゆっくり味わう。美味しい。
※画像はイメージです（筆者撮影）
“かわいらしさ”で罪悪感が薄まる
見た目は度外視したお得な食べ物の中には、たとえば刺身や肉の切り落としや、割れたせんべいやチョコレート、規格外の野菜などがある。いずれも味や品質はかわらずにお得な価格で買えたりする。しかし今回の研究から、満足度という観点からはやはり見た目もきわめて重要であるということになりそうだ。飲食店からしてみれば、美しく撮られた料理写真は大きな武器になることは間違いない。
いずれにしてもビジュアルが持つ力は考えれいる以上に侮れないものであることを痛感させられる話題である。新しく新調するバッグも、防水性など機能面にはあまりこだわらず、やはりデザインとビジュアル重視で選んだほうが結果的には満足のできる買い物になるのだろうか……。
しかしそこには落とし穴があることもまた事実だ。今回の例で言えば、見た目が美しい料理は健康的な食べ物と認識されやすいが、本当に健康的であるかどうかはまた別の問題であるからだ。
デコレーションケーキやパフェなどのデザート類は文句なしに美しくて愛らしいビジュアルだが、よく考えれば相当なカロリーであるのは誰でもわかる。それがわかっていても食べてしまうというのは、この魅力的なビジュアルが一役かっていることは言うまでもない。“かわいらしさ”で罪悪感が薄まるのである。
そしてチーズたっぷりのピザはもちろんのこと、この寿司だって量を食べればけっこうなカロリーである。あくまでも腹8分目、7分目程度に抑えておこうと思う。
少し前の話題だが、アメリカではピザは“野菜”に分類されていることが驚きを持って語られたことがある。なんでも一定量以上のトマト・ペーストは“野菜”とされているために、その基準を満たすピザは“野菜”であるというのだ。
食品成分の定義の問題ではあるのだが、その一方で美しいビジュアルのピザは“悪者”にはされにくいという側面もあるのかもしれない。これもまた“かわいらしさ”で罪悪感が薄まっていて、こんなに可愛い食べ物なら“野菜”に分類してもいいのではないかという気分になったとしても不思議ではない。
ともあれ気の向くままに入店して味わった寿司と肴にじゅうぶん満足できた。メニューを見るとランチでは海鮮丼も人気がありそうなことがわかる。海鮮丼もまたそのビジュアルで食欲が刺激されるメニューといえるだろう。するとやはり食べ過ぎには少し注意したほうがいいかもしれない。
さて、お会計をして出ることにしよう。新調するバッグについてはいったん仕切り直してゆっくり考えてみよう……。
文／仲田しんじ
"美しい" - Google ニュース
December 08, 2020 at 06:45PM
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