これは、記事『背中に感じる600馬力のパワー!│突出した魅力を持つブガッティEB110に試乗』の続きです。
今回の試乗では、1994年の時のように警察車両による先導もなければ、冷却ファンが不動という状態だった。おまけにフランスの道はかつてに比べて、路面の荒れが増しておりレースマシンには辛い。せめてスタート場所くらいはと、ラ・シャルトルシュルに位置する可愛らしいオテル・ドゥ・パリにした。ル・マン24時間参戦者なら誰しもが昔から⋯、それこそブガッティ・タイプ57が参戦していた頃から喉を潤しに集ったという記念すべき場所だ。ここで世界にたった1台しか存在しないEB110ル・マンを積載車から降ろし、サーキットへと移動した。
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サーキットは先週末の混沌が随所に残ったままだった。ご存じのように、サルテ・サーキットは毎年のル・マン24時間(1923年から)、隔年開催されるクラシック・ル・マンの舞台となっているが、その多くは公道を常設コースと"接続"したものだ。常設コースは全長4.185kmのサーキット・ブガッティで、EB110ル・マンを撮影するにこれほどふさわしいネーミングの舞台はないだろう。
サーキット・ブガッティでマシンを撮影するなら、ダンロップ・ブリッジを背景に入れるのが常套手段だ。取材時のサーキット・ブガッティには私たちしかおらず、"走り"の写真も撮影し、ル・マン24時間で走っているような雰囲気も再現してみることができた。筆者はEB110もEB110ル・マンのテストカーも運転したことがあるが、EB110ル・マンのステアリングを握るのは初めてだ。固定されたドライバーズシートに腰を下ろすと、ステアリングホイールまでの距離は完璧だったが、筆者が短足なのか、ハーネスを装着するとペダルまでは若干距離を感じた。そこでハーネスは装着せず、ペダルまでの距離を優先することにしてみた。コクピットの各種スイッチはすべてフランス語ゆえに、オーナーがEB110ル・マンの貸し出しとともに派遣した専属ドライバーに教えてもらい、ようやくスターターを回すことができた。
咽るようにV12エンジンが点火していく様は、エクスタシーを覚えてしまうのではないかと思うほど美しいサウンドを奏でる。遮音材は一切ないが、車内に響き渡る音量はEB110SSとさほど変わらないように感じる。6段MTは操作しやすく配置されているほか、3ペダルもドライビングシューズを履いていなくともヒール・アンド・トゥがしやすい完璧な配置だ。ロールケージの存在によって、乗り降りのしやすさや、車内からの視界は制限されるが、これらはレース車両ゆえにやむを得ないだろう。サイドミラーは車内から電動調節できる。バックミラーは、リアの巨大ウィングの存在のせいで、ほとんど意味がない。フロントウィンドウは市販型EB110でもクラックが入りやすかったが、ご多聞に漏れずEB110ル・マンにも入っていた。もはやレースに出るわけでもないので、交換の必要性はないだろう。インテリアはレースカーらしく、製作時間との闘いが垣間見られる粗削りぶりが、たまらなくセクシーに感じられる。
ステアリング、クラッチ、シフトなどの操作系のフィリングは、ベースカーのEB110とほぼ変わらない。低回転域での走行を続けるとエンジンが咳き込むような症状が出るが、アクセルペダルを煽ってやればすぐに回復する。ピットストレートからダンロップ・ブリッジまでの移動で、EB110ル・マンの操作系にはすっかり慣れた。ここまで運転しやすい車だとは思ってもみなかった。唯一、EB110ル・マンで苦難を強いられるのは、最小回転半径の大きさだ。それは積載車よりも若干優れている程度なので、写真撮影のために車両の位置を微調整するのはたいへんだった。だが、レースマシンでありながら、筆者のようなどこにでもいるドライバーであっても操作は容易い。今となってはめずらしい装備となってしまった、"本物"のマニュアルトランスミッションを操作するのも手ごたえがあって、ただただ楽しい。
クローズドサーキットから一歩足を踏み出してみると、一般道(といってもル・マンではコース)でも、EB110ル・マンを操る楽しさは変わらなかった。ミュルザンヌ・ストレートの出口は「インディアナポリス」にかけてル・マン開催中は右コーナーとなっているが、通常はラウンド・アバウトだ。ここを低速で曲がるのも楽しい。EB110ル・マンというレースマシンを操ることは私にとって特別なひとときなので、ややバイアスがかかっているのかもしれない。
通行量もほとんどない状況を見て、アクセルペダルをさらに奥深く踏み込んでみた。4WDのおかげでタイヤが路面をしっかり掴んでいることが体感でき、グイグイと加速していく。タイヤを滑らせるなど不可能に感じられるくらいだ。それでいてエグゾーストノートは昨今のスーパーカーではありえないほど静かだ。これこそがアリティオーリが思い描いたブガッティ像で、レースマシンとて同じだったのだろう。周囲からの注目を集めたいわけではない⋯、と。そういう意味では"大人"なスポーツカーといえるだろう。
ノーマルのEB110SSでさえ60mph加速は3秒未満、最高速は220mphを誇った。現在のスポーツカーと比較しても、まったく見劣りしない数値だ。EB110ル・マンの最高出力は1994年のレギュレーションに準規してEB110SSと同じ600bhpだが、約200㎏の軽量化が功を奏している。ミュルザンヌをフル加速していく様を想像するだけで、ゾクゾクする。
ブガッティによるル・マンの挑戦は、マーケティング戦略でもあっただろうが、市販車ベースのレースマシンによる復権を目指したものでもあった。予選は17位で通過した。決勝では燃料タンクに穴が開くも、エポキシ樹脂で修復。ターボチャージャーを複数回、交換するも、レースはアラン・クディーニ、エリック・エラリー、ジャン・クリストフ・ブイヨンのフランス人ドライバーによって順調に進んでいった。残すところ45分となって5位入賞はできるだろうと誰しもが思っていた時、ブイヨンがダッジ・バイパーを追い越した際にアクシデントは起った。EB110ル・マンは急に左に逸れ、バリアに激突。トラブルを起こしたのは、タイヤなのか、ブレーキ、あるいはサスペンションなのか、はたまたドライバーのミスなのか、真相は今も明らかではない。こうして、ブガッティによるル・マン復権の夢は、あえなく閉ざされた。
ブガッティにとっては、ル・マン敗退よりも、現実問題のほうが深刻だった。生産は遅れ、その間に世界景気に陰りが見え始めたことで、販売状況もいまひとつという状態に見舞われていた。当時のブガッティを巡る財政状況については様々な噂がまことしやかに語られているが、1995年に会社をたたまざるを得なくなった。3年後にアルティオーリは「ブガッティ」の商標をフォルクスワーゲン・グループに売却。これにより、ブガッティ再生への可能性が残されることになった。
ロマーノ・アルティオーリのような起業家は、決して立ち止まらない。数年前、地中海でアルティオーリが所有するヴィラで会ったとき、彼は80歳代半ばながらサステナブル・エネルギーのプロジェクトに関わっていた。ブガッティの工場を設計したジャンパオロ・ベネディーニも立ち止まってはいなかった。工場の衰退ぶりは悲しみに包まれたモニュメントと化しているが、彼の設計事務所の経営は順調に繁栄した。現在は家族が代々住むマントヴァに住居を構え、タツィオ・ヌヴォラーリとイタリア消防士ミュージアムの運営に携わっている。
EB110ル・マンはその後、ミシェル・ホーメル自身の自動車博物館に収められた。博物館で丹念に修復され、フランス随一のフランス車コレクションとともに並べられていた。
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January 23, 2020 at 06:03PM
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