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【書評】『わたしの芭蕉』加賀乙彦著 美しい日本語の世界に遊ぶ - 産経ニュース

『わたしの芭蕉』加賀乙彦著
『わたしの芭蕉』加賀乙彦著

 作家・加賀乙彦氏といえば多くの長編小説で知られる。自伝的長編「永遠の都」は、続編の「雲の都」と合わせると、原稿用紙約9千枚の大作である。トルストイやトーマス・マンを想起させるスケールの大きさだ。

 その加賀氏と松尾芭蕉(ばしょう)の俳句という組みあわせの意外さに惹(ひ)かれて本書を手に取った。俳句は自然の森羅万象、人生の悲喜こもごもをわずか17文字に切り取る。長編小説とは対極の表現方法のように思われるが、日本の古典にも精通する著者は鎌倉時代の簡潔で力強い文体に長編小説の理想に近いものを見いだしている。鴨長明の「方丈記」や吉田兼好の「徒然草」の美しい言葉が、芭蕉の俳句に引き継がれているという。

 誰もがよく知る名句に〈閑(しずか)さや岩にしみ入(いる)蝉の声〉がある。山形市宝珠山立石寺で詠まれた句だが、芭蕉は一気にこの境地に到達したのではなく、最初の句は弟子の曾良(そら)によってこう書き留められている。

 〈山寺や石にしみつく蝉の声〉。俳句に疎くても決定句とは雲泥の差があることに気づく。蝉の声が石にまとわりつき、やたら暑苦しい。はかない命の蝉と石が共鳴しあう寂しさが表現されていない。

 著者は最初の句がなぜ不出来かを説明した上で、推敲(すいこう)後の句〈淋しさの岩にしみ込むせみの声〉を提示。そして、さらなる推敲の末に、決定句へと昇華する芭蕉の心の動きを解明する。

 ある句の、ある一字はなぜその漢字、平仮名で表記されたのか。それによりどれだけ俳句の世界が豊かに深まったのか。「芭蕉は美しい日本語の世界に遊ぶ楽しみを私に教えてくれた」という著者が、問わず語りに書き記したのが本書である。収められた206句は、どこからでも読め、読み進むうち不思議と心が柔軟に呼応し、芭蕉を楽しむことができる気がしてくる。

 最後に、少し季節の先取りをして春の句を挙げておこう。

 〈春雨(はるさめ)やふた葉にもゆる茄子種(なすびだね)〉〈こまか成(なる)雨や二葉のなすびだね〉

 著者は静かに読者に問う。「私にはどちらの句も素晴らしいと思えるが、みなさんはどうだろうか」。いつのまにか読者それぞれの心に「わたしの芭蕉」像が結ばれる。(講談社・1600円+税)

 評・青木奈緒(文筆家)

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March 08, 2020 at 09:30AM
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