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フジテレビ入社|美しい暮らし|矢吹透 - gentosha.jp

1988年4月、僕はフジテレビに一般職の新入社員として入社する。

バブルの最中(さなか)でもあり、同期入社は64名いた。

同期で入社した女性アナウンサーは、有賀さつき、河野景子、八木亜希子の3人だった。

一般職として入社した同期には、亡くなった元衆議院議員の三宅雪子、「めちゃイケ」総監督の片岡飛鳥、NGT会見で炎上した元AKS取締役の松村匠、ドラマ「教場」などの監督・中江功らがいる。

それぞれの、その後の人生を考え、今、振り返ってみると、誰もが皆、若く幼かった。

 

3ヶ月ほどの新人研修期間を修えて、僕が配属された先は、経理部だった。

ドラマ志望だった僕は、落胆した。

テレビ局に入り、経理の仕事を望む人間は、少なくともその当時は、あまりいなかった。

僕は、テレビの番組作りに携わりたいと考え、テレビ局に入社し、ドラマ制作の現場を志望したのだが、その希望は叶えられなかった。

人事部長に不満を訴えると、逆にひどく叱責された。

後になって聞いた話だが、学生作家が入社する、と社内で鳴り物入りの新人であった僕が、クリエイティブな職種ではなく、経理に配属になったことについては、会社の中でも、違和感を感じる人たちがいたらしい。

現・ワタナベエンターテインメント会長である吉田正樹さんは、僕の6期上で当時、フジテレビのバラエティ・セクションの社員だったが、僕が新人研修の際にお世話になったこともあって、上長へ僕の配置転換の直訴までして下さったと聞く。しかし、僕の経理配属の決定が覆ることはなかった。

僕をフジテレビに採用した(と今でも僕が勝手に信じている)鹿内春雄議長は、僕らの入社式から二週間ほどが過ぎた4月16日に突然逝去し、新人配属のタイミングには、既にこの世に亡かった。

もし、春雄さんが生きていたら、僕は真っ直ぐに春雄さんのところへ相談に行っただろう。しかし、その時、それはもう叶わぬことであった。

今でも、同期と酒を飲むと、あの時の矢吹の配属は何だったんだろう、という話になったりする。

僕はそれから10年ほど後に、希望のドラマの現場に異動することになるが、最初からドラマに配属された同期との間の、経験とキャリアの開きを取り戻すことは最後まで出来なかった。それは僕の能力が至らなかったせいでもあることは確かだが、フジテレビを卒業した今でも、僕は、あの新人の際の配属について、残念に思う。

いつか、まだ存命である当時の人事部長に会い、話を聞きたいという気持ちが、心の奥底に澱のように残っている。


不満と落胆と鬱屈を抱えてはいたが、与えられた仕事はこなさなければならない。

僕は、決して残業をしない、と決めた。

そのためには、作業の効率を上げることが肝要であると考えた。

経理の仕訳が出来るようになる前の新人が、まず任されるのは単純な入力や計算だった。

膨大な数の伝票や領収書や請求書の数字を、PCや電卓の10キーで入力・計算して行く。

この入力の作業の早さと正確さが、作業効率に大きく影響すると考えた僕は、10キーのブラインドタッチの習熟に勤しんだ。

手元にある伝票の数字をとにかく片端から、10キーのキーを見ず、画面や液晶だけを見て、足し算をして行く。足し終わったら、何回か検算をする。

伝票が手元にない時は、社内電話の内線表の番号などをすべて足してみたりして、暇さえあれば、練習に勤しむ僕を、上司や先輩が笑って見ていた。

当時はキャッシュレスの時代ではなかったので、紙幣の勘定も練習した。出来る限り早く、正確に、枚数を数える。左手の中指と薬指に札束を挟み、右手で弾いて行く方法もあれば、扇のように広げ捌く方法もあった。置いた札束を右手の人差し指で掬って行くやり方もあった。ベテランの先輩にコツを聞きながら、各々の方法で、何度も何度も繰り返し、スピードと正確さを上げる練習をした。

余談だが、この札勘定のテクニックはその後、祝儀や不祝儀の手伝いとして駆り出される度に、助けとなった。

そんなことに没頭しているうちに、気がつくと僕は、上司や先輩たちに愛され、可愛がられるようになっていた。

経理セクションの人たちは、テレビ局に於いては、裏方的な存在である。現場のスタッフのように脚光や賞賛を浴びることはない。黙って、縁の下の力持ちに徹する、穏やかで心根の優しい人たちが多かった。

不貞腐れながらも、電卓や札束と必死に格闘する僕の一生懸命が、そんな先輩たちのどこかに響いたのかもしれない。


とはいえ、僕の中には、経理という配属への反抗や抵抗の気持ちが沸々と滾っていたので、それを僕は、自らのファッションで表した。

当時、流行りだったデザイナーズ・ブランドのスーツやシャツを日替わりで着て、左耳にはダイアのピアスを付け、糊の利いたシャツの袖がインクや朱肉で汚れないよう、役場の事務員さんがしていたような黒い腕抜きをして、仕事をした。

そんな目立つ格好をしている人間は、静かな経理のフロアに、僕以外にいなかった。

思い返せば、30数年前、男でピアスをしている堅気の人間は、あまりいなかった。

今でも仲のいい、後輩アナウンサーの大坪千夏が、その当時を振り返って言う。

アナウンサーも、出番のない時は、普通の会社員である。アナウンス室で、皆、デスク作業をする。慣れない作業なので疲れる。デスク業務に煮詰まって来ると、年長の女性アナウンサーが後輩たちに言う。

ちょっとくたびれたわ、貴女たち、美しいものを見に行きましょう。

女性アナウンサーは隊列を組んで、社内各所の若手イケメン社員の見学に出かけたのだそうだ。

スポーツ局の○○くん、営業局の××くん、と回って行く中に、経理局の矢吹さんも、必ず入っていたんですよ、と大坪が可笑しそうに言う。

経理局は機密の数字やデータも扱っているので、部外者は、部屋の奥まで入って来ることは出来ない。

入り口のところから奥を覗いて、矢吹くんいる?あ!いたいた!動いているわ!見ているだけで、疲れが癒やされるわ、などと盛り上がっていたんです、と大坪は笑う。

まあ、本当の話なのか、大坪が話を膨らませているのか、よくわからないけれど。


定時で仕事を終えると、同じ一般管理部門である総務や人事の先輩たちに誘われ、ディスコに繰り出したりした。キング・アンド・クィーンなどマハラジャ系列の店によく行った。

ある日、連れの中に、真っ赤なボディコンシャスの丈の短いワンピースに身を包み、お立ち台の上でノリノリで踊っている女性が居て、彼女はどこのセクションの人?、と聞いたら、郵便室のバイトの女性であると誰かが教えてくれた。

翌日、社屋の地下の郵便室を覗きに行くと、昨日の彼女が、地味な事務服を着て、黙々と仕分け作業をしていた。

ああ、この人も自分と同じような鬱屈を胸の奥に抱えながら生きている人なのだ、と僕はなんとなく思って、云われもなく感情移入した。


そんなこんなの日常は、今、思い返すとそれなりに楽しくもあった。

責任のない、経理の下っ端の仕事には、プレッシャーもほとんどなかった。

しかし、そんな自分が、現場に配属された同期たちに確実に遅れを取っている、というじりじりとした焦りが僕の中にはあった。

ゴールデン・タイムの人気番組のスタッフ・ロールの一番下の方に、同期の名前がクレジットされるのを見るたびに、胸の中に嫉妬や羨望の念が渦巻いた。

華やかな会社で、地味な職場にいる自分に対しての強い劣等感が、僕の中にはあった。

それでも、その時、僕の頭の中に、会社を辞めてしまおうという考えが浮かぶことは、ほとんどなかった。

会社を辞めて、文章で食べて行くという選択肢が自分にはない、ということがわかっていたからということもある。前回書いたように、セクシュアリティを偽りながら、文章で自分を表現して行くということの限界に、僕は既に気づいていた。

もうひとつ、何よりも、僕はフジテレビが好きだった。

フジテレビと、そこに働く人々は皆、きらきらとしていた。

フジテレビの社員であるということに、当時の自分が確かに誇りを感じていたことを、僕は今でもありありと思い出すことが出来る。

新宿・河田町にあった、当時のフジテレビのメイン・フロアは3階だった。

3階でエレベータを降りると、長い廊下に沿って、報道・編成・制作の各部署が連なっている。

ゴールデン・タイムの高視聴率番組を仕切る、有名プロデューサーやディレクターたちが、ポロシャツの襟を立て、背中に羽織ったセーターの袖を胸の前で結び、肩で風を切って歩くこの大廊下を、いつか自分も闊歩する日を僕は夢見た。

あの頃のフジテレビが持っていた輝きは一体、何だったのだろう。社内を満たす空気には、夢や狂躁が渦巻いていて、僕たちは毎日、それを呼吸しながら生きた。

それはまるで、ひっくり返したおもちゃ箱の中にいるような日々だった。


今回添えた画像は、入社一年目の夏、8月8日「フジテレビの日」のスナップである。
毎年、その日には、社内のスタッフに揃いのTシャツが配布され、皆がそれを着て、社屋内に露店や番組関連のブースなどを展開し、一般の人たちの参加出来るイベント「フジテレビの日」が催された。
この企画は、社屋が新宿・河田町からお台場に移転した後、「お台場冒険王」や「お台場夢大陸」などといった夏の大きな集客イベントへと繋がって行くことになる。

<つづく>

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